らしさを求め過ぎることで、
らしくないとされる自分を否定することになる、そんな想いを感じている。
それはまるで ポジティブ思考を良しとする余り、
ネガティブを排除しようとする昨今の風潮に似ている気さえするのです。
実はネガティブも重要。
ある人が前にしてくれた話、
葦舟を作り海に出る とある人は、
海の上では最悪の状況を想像できるかどうかが重要だ
と。
楽観していたら死に至ることもある逃げ場のない環境の中で、最悪の状況を想像できる、要はネガティヴとされる思考が有事の際の諸々に対処できる可能性を持つ思考だと、そんなお話し。
“らしさ”もまた、そこに通じる一端があると感じる。
人間ひとりとっても様々な側面がある中で、
普段と違う面を見せたり、
様子が異なる時があることは当然のこと。
心配ゆえの「らしくないよ」や元気付けの時にもよく使われるけれど、やさしさが出どころの「らしくないよ」には救われることも多々あるけれど。
“自分らしさ”を求め過ぎると、その対局にある“自分らしくない(と感じている)”自分を否定してしまう気がするのです。
人間は多面性。
様々な側面があり、様々な表情があり、
それを認め 認め合うことで想像力を養い、多角的な視点を得て、奥行きが生まれる。

《今日の一枚》
先ほどお散歩中に出逢った色彩。
一点の曇りもなく命を咲かせるその姿に思わずパシャリ。
花も樹も、あるべき場所で花開き、朽ちてゆく。
ただ、命そのものであるように。